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2017/08/17

旦那のバカっ!何よ育児なしっ!|『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』

 僕自身は子供をダシにして労働時間を短くするタイプで、定時になったらさっさと帰路につくのだけれど、逆に仕事を理由にして育児に参加しない親も、世の中には多く存在していると聞く。(タイトルは語呂の関係で父親になっています。)
 もし、あなたのパートナーがそのようなタイプなのであれば、『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』はその状態に終止符を打つ可能性を秘めている。

 本書の素晴らしいところは、タイトルや装丁がどう見ても一般のビジネス書であるという点だ。(僕が育児の文脈で受け取っただけで、実際にビジネス書なのだけれど。)
 そもそも「仕事>育児」の人間に「ワーク・ライフ・バランス」、「育児参加」、「家事分担」というような本を手に取らせることは、拳銃でも使用しない限り不可能に近い。
 だが逆に、本書のタイトルに含まれる「イノベーション」、「ハーバード・ビジネス・スクール」という文字は、仕事人間にとっては心に突き刺さり過ぎるワードであり、丸善やジュンク堂や代官山蔦屋書店でその本を手に取っただけで、ビジネスマンとしての階段を一歩上がったも同然なのである。(さらに、著者は『イノベーションのジレンマ』で一躍脚光を浴びたクレイトン・M・クリステンセンだ。)

 それとなくこの本を薦めるなり、そっと鞄に忍ばせておくなりして、パートナーの手に取らせたらもう勝負はついたようなものだ。あとは本書にある痛烈な記載が彼/彼女の意識をきっと変えてくれる。 
 幾つか引用してみよう。(太字は引用者による)
 彼らは仕事に劣らず、プライベートでも満足できる生活を築こうとして、家族により良い暮らしを与えるような選択をしたが、そうすることで知らず知らずのうちに伴侶と子どもをおろそかにしていた。家族との関係に時間や労力を費やしても、出世コースを歩むときのように、すぐに達成感が得られるわけではない。伴侶との関係をなおざりにしても、日々の生活では何かが崩壊していくようには感じられない。夜になって家に帰れば、伴侶はちゃんとそこにいる。それに子どもたちときたら、悪さをする方法を次から次へと考え出す。腰に両手をあてて「立派な子どもに育ったな」と満足感に浸れるのは、二十年も先のことだ。(P.82)
そして離婚の痛みを乗り越えるために、きょうだいや友人の励ましが必要になって初めて、自分はひとりぼっちだと気がついた。彼は行ってもいない投資に、見返りを求めていたのだ。彼らはスティーブが困っているときに、わざと見捨てたわけではない。長い間放っておかれたため、スティーブを身近に感じなくなり、口出しするのはさしでがましい気がしたのだ。
(中略)二人の息子と二人の娘が訪ねてくると、気持ちよく過ごせるよう気を配った。結婚していた頃はすべてを妻任せにしていたが、彼なりに努力して一緒にできる新しいことを考え、楽しい時間を過ごせるように工夫した。だが彼は苦しい戦いを強いられていた。(中略)スティーブが子どもたちと過ごす時間を必要としていたそのとき、子どもたちは父との面会を避け始めた。(P.100-101)
 この種の間違いのうち、とくに前途洋々な若きエリートたちが陥りがちな間違いは、人生への投資の順序を好きに変えられると思い込むことだ。たとえばこんなふうに考える。「今はまだ子どもたちが幼くて、子育てはそれほど大事じゃないから、仕事に専念しよう。子どもたちが少し成長して、大人と同じようなことに関心をもつようになれば、仕事のペースを落として、家庭に力をいれればいいさ」。さてどうなることだろう? その頃には、もうゲームは詰んでいるのだ。(P.102-103)
 本書でも下記の秀逸な例えで書かれている通り、これを読んだことで必ずしも全てが解決するわけではない。当人の意識が変わったところで、環境が許さないことも大いにあるだろう。
けれども、この本で何かが変わる可能性は決して小さくない。
どんな状況にも通用する、万能型の手法というものは存在しない。ニンジンはゆでると柔らかくなるが、卵は固くなる。(P.89)