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2012/05/28

ボランティアバスツアー@宮城県七ヶ浜町(10ヶ月ぶり2回目)

写真 12-05-19 7 23 02
 精神的な疲労と肉体的な疲労はなるべく一致させておいたほうが良いというのが持論だ。
 パソコンでの地雷除去とカード整理を主な仕事にしている僕は、日々のハードワークで精神的な疲労が溜まりがちな一方、運動はほとんどできないでいた。そこで、肉体労働に精を出すべく、久しぶりにボランティアバスツアーに参加することにした。

 折角なので前回同様にボランティアを口実にして仕事を休んでやろうと思ったのだが、最近は地雷が溜まり気味であったため、やむなく断念。せめて定時で帰ってやろうと、金曜日の夜に出発するツアーを「助け合いジャパン」で探した。
 前回と同じ「めもり~旅行」主催のツアー(1泊3日)にしても良かったのだけれど、いつの間にか値段が上がっていたので、今回は京成バスのボランティアツアー(0泊2日)に参加することにした。僕のボランティア精神評価額は7,000円から22,000円の間にあるようだ。
 行き先は前回と同じ宮城県七ヶ浜町。10ヶ月前との違いも見てみたかったし、ここのボランティアセンターでは長靴やゴム手袋などを貸してもらえるので、持参する荷物が少なくて済む点が良い。作業のために長靴を買うまでのボランティア精神は持ち合わせていない。

 そして金曜日の夜。秋葉原駅の長距離バス発着所では、ボランティアバスツアー参加者と思しき人々が、微妙な距離感を保ちながらバスを待っていた。志を同じくする人々の微妙な連帯感と、そうは言っても他人同士の微妙な距離感が微笑ましい。
 わざわざボランティアに参加するくらいなのだから、参加者は皆聖人君子かと思えるかもしれないが、自分自身を筆頭に決してそうではない。既に一杯引っ掛けてご機嫌の40代くらいの男性とそのお友達2名は、周りに人がいるのも構わずタバコを吸い出し、挙句に吸殻をポイ捨てしていた。自分の足元にはゴミを捨てるが、他県のがれきは片付ける。そんな人もボランティアには参加するのだ。

 バスは23時過ぎに秋葉原を出発し、途中上野駅で参加者をピックアップして、宮城県を目指す。途中、2回ほど深夜のサービスエリアで退廃的な空気を一杯に吸い込む。サービスエリアに来ると、のどが渇いていなくても何となく煎茶を飲んでしまう。
 朝の7時ごろにバスは宮城県七ヶ浜町に到着。ボランティアセンターが開くまでの間、多聞山に寄って松島の風景をしばし眺めて時間をつぶす。そして、男女交互にバスの中で着替えを済まし、ボランティアセンターへ。

 約10ヶ月ぶりのボランティアセンター。長渕剛は変わらずにその顔芸でボランティアたちを励まし続けていた。
��参考)10ヶ月前の写真
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 午前9時から「マッチング」と呼ばれる、ボランティア作業の割り振りが行われる。マッチングを仕切るおばちゃんは10ヶ月前と同じだ。
 僕が被災地のことをすっかり忘れて遊び呆けている間にも、おばちゃんはずっとここで働き続けていたのだと思うと頭が下がる。それでもまた僕は被災地のことを忘れるだろうから、先に心のなかで謝っておいた。

 この日のボランティア参加者は300名。我々京成バスのボランティアツアー「七ヶ浜応援隊」は、田畑のがれき撤去作業に割り当てられた。元々水田であった場所を、大豆畑として蘇らせるのが最終目標であるとのこと。作業に先立ち、田畑復興プロジェクトの代表をされている方が挨拶に立ち、感謝と労いの言葉を述べた。他人に請われる作業をするのはずいぶん久しぶりに感じる。
 作業場に出発する前に参加者全員でラジオ体操をする。お国言葉の「おらほのラジオ体操」で行われたため、何を言っているのかさっぱりわからなかったけれど、体は動く。ラジオ体操恐るべし。


 ボランティアセンターでゴム手袋と長靴そしてゴーグルを借りたあと、バスで5分ほど走って今日の作業対象になる畑の近くへ。
 偶然にもそこは10ヶ月前にがれき撤去を行った家屋跡地のすぐ近くであった。うだるような暑さの中で、ネイサンに課せられた重労働と、ガソリンスタンドで頭からかぶった水の冷たさなどが懐かしく思い出される。
 当時僕ががれきを撤去した場所にはもう既に新しい家が建てられ……というほど現実は甘くなく、あの日から変わらずに更地のままであった。復興は着実に進んではいるのだろうけれども、以前足取りは重いままであるようだ。

 午前10時過ぎに作業を開始。畑は重機を使って大きながれきは撤去されているとはいえ、まだ所々には大きな石が埋まっており、小さなゴミや石は無数に散らばっている。今からこの場所を畑にすることなどとても想像できないような有様だ。
 それでも熊手と手を使って、がれきを拾い集める。まず燃えるものと燃えないものそしてガラスに分別をして、それぞれの場所で小さな山を作る。それを午後に土のう袋に詰めてひとまとめにする。
 ここからは単純で果てしない作業が淡々と続く。ありとあらゆるゴミが散乱しているし、それを集めたとしても、少し掘るとまた無数に小さな石が出てくる。
 まずは表面のゴミをざっと集める。そして熊手で表面を撫でるようにして、埋もれた小石をかき集める。途中で大きめに石があれば、掘り出す。この作業を少しずつ場所を変えて繰り返す。
 作業としては重労働ではないけれど、停滞感が尋常ではない。自分が作業をした後にもまだまだ石ころが落ちているので、達成感がまるで得られない。
 それでも午前中の作業が終了した段階で改めて周りを見渡してみると、作業前に比べて明らかに片付いているのがわかる。小さなことからコツコツと。
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 バスでボランティアセンターに戻り、お弁当を食べる。希望者に500円で主催者側が用意した、かまどやのお弁当だ。肉体労働の後に芝生の上で食べる弁当がまずいなんてことがあるだろうか。いや、ない。
 ご飯を食べながら、他のツアーでボランティアに来ている人たちと少し話をすると、神奈川県の七里ヶ浜から来ているという常連さん達だった。「七ヶ浜」と「七里ヶ浜」とで名前が似ていることから、ずっと支援を続けているらしい。

 13時に再びバスで作業場に戻り、午前中の作業を続ける。しゃがんで作業をするので、足腰に響く。適宜ボランティアリーダーが休憩を支持し、水と塩あめを補給する。日差しはあるけれど、海からの風が冷たくて気持ちが良い。
 14時になると、それぞれ山になったがれきを土のう袋に詰める作業に移る。土のう袋の結び方は10ヶ月前に習ったけれど、見事に忘れていた。
 14時30分で作業は終了。土のう袋150袋ほどのがれきが撤去された。それでもなお、この場所を畑にするまでには、途方も無い手間と時間がかかりそうだ。

 作業を終えたあと、「バスに戻るように」という指示を華麗にスルーして、防波堤の上に立って海を眺める。10ヶ月前は浜辺に突き刺さっていたコンテナがいなくなっていた。
写真 12-05-19 14 52 14
��参考)10ヶ月前の写真
IMG_7082

 ボランティアセンターに戻り、借りていた道具を洗って返す。またバスの中で着替えを済まして、東京へ向けて出発。
 ボランティアセンターのスタッフが手を振って見送ってくれる。ディズニーランドの外でも手を振って見送られることがあるのだ。

 帰りのバスで、同じく一人で参加していた青年と話す。彼はレコード会社に勤めていて、家に1,500枚のCDがあり、地震のときは食器をすべて諦めて全力でCDラックを支えていたらしい。美しい生き方だ。
 バスは22時ごろに秋葉原へ帰着。彼は上野まで行くらしいので、そこで別れた。最後に交わした「じゃあ、また。」という約束を守るためには、また七ヶ浜町に行かなくてはならない。やれやれ。