今日も山へ向かうおじいさんの足取りは重いものでした。それは何も山道や衰えのせいばかりではありません。薪を入れるかごはまだ空っぽでしたが、おじいさんの背中には徒労と慚愧が、何年もの間ずっとのしかかっていたのです。
おじいさんとおばあさんの住む村は、ずっと昔から鬼たちによってひどい目にあわせさてきました。村人たちが丹精をこめて作った作物も、釣り上げた魚も、織り上げた反物も殆ど全て、鬼ヶ島からやってくる鬼たちによって奪い取られていました。おかげで村人たちが口にするのは野菜の根や茎ばかりで、身にまとうのは何度も繕ったぼろきれのような服でした。
村人たちは、鬼たちの支配から逃れたいという気持ちは大いにありましたが、逃れようとする勇気はありませんでした。夜な夜な鬼退治のための話し合いが設けられ、どの会も明日こそはと士気高揚して散会するのですが、明くる日には昨日と同じ一日が始まっているという具合でした。しかしそれも無理はありません。何年前かのあるとき、鬼たちに逆らった村の若者が連れ去られ、明くる日に、まるで赤鬼のように真っ赤になって村人たちの前に帰ってきたことがあったからです。
もう村人たちは占いや呪(まじな)いにすがるしかありませんでした。ほうきを逆さにして立てかけたり、軒先に赤く染めた紙を吊るしたりと、幾つもの呪いが試されては捨てられていきました。そんな中、一人の占い師が、こんな夢を見ました。
ーー鬼の子を埋めてその上で育てた桃を川に流すと、鬼が退治される。
村人たちはこの占いにわき立ちました。というのもこの占いは「鬼の子を埋める」という直接鬼に関係しそうな行為が含まれているという点において、非常に効果があるように彼らには思えたからでした。すぐに村人たちはどうやって鬼の子を“工面”するかについての話し合いに移ろうとしました。
おじいさんだけはこの占いを信じることに反対でした。いくら鬼とはいえ、子供を埋めるようなことは許すことが出来ませんでした。おじいさんには、子供を失う親の悲しみが痛いほどによくわかるのでした。
しかし、結局おじいさんの意見に耳を傾けるものはいませんでした。村人たちにとって相手が子供か否かは、難易の問題でこそあれ、情非情の問題とはなりえなかったのです。そして話し合いばかりであった村人たちも、「子供くらいならば」と今回は行動を起こすことを決めてしまったのでした。
村人たちがどのようにして鬼の子供を“調達”したのかおじいさんは知りません。ただ、確かに鬼の子供はやってきました。鬼の子供は真っ赤な体と、頭から突き出たまだ小さな角、そして少しとがった牙を除けば、なんら人間のこと変わるところはありませんでした。真っ赤な体をして、まるで眠ったようにしている鬼の子を見ると、同じように真っ赤な体で眠るように打ち捨てられていた自分の息子のことを思い出して、おじいさんは涙をぽろぽろとこぼしました。
おじいさんはその子を自分の山に埋めるよう皆を説得し、そして自分一人の手でその子を埋めました。そうして、桃の種を一粒その上にそっと置いてやりました。それから毎日、山へ柴刈りに行きながら、桃の面倒を見てやるのでした。鬼たちに知られないよう桃の木のことは、村の男たちだけの秘密とされました。
初めて桃の実がなったのは、種を植えてから三年後のことでした。実がなった最初の年、真っ赤に実った桃の実を見て、おじいさんはまた自分の子供と鬼の子供のことを思い出して泣いていました、そうして川へ一つ桃の実を流してやりました。次の日も、また次の日もおじいさんは桃を川に流してやりましたが、何もおきません。結局その年になった実を全て流してしまっても、村も鬼も変わらずにいました。そうしてその後も毎年夏になると桃の実を川に流していましたが、今日まで鬼は変わらず村で暴れ回るのでした。
おじいさんは柴刈りもそこそこに、桃の実を一つ握り締めて、木のふもとに座り込みました。そして桃の実をじっと眺めていました。
ーー鬼の子を埋めてその上で育てた桃を川に流すと、鬼が退治される。
こう予言した占い師はもういませんでした。占いに対する失望は、いつのまにかおじいさんに対する失望に転嫁されていました。
「育て方が良くなかった。」「埋め方が良くなかった。」挙句には「桃泥棒」と言う人すらいることもおじいさんは知っていました。でもそんなことよりもおじいさんは、この占いのために失われた赤い小さな命のことを思わずにはいられませんでした。また、こうして無為に桃を川に流していることも、新しい小さな命を打ち捨てているように思えるのでした。
今日で最後にしよう。そう決心して、おじいさんは掌にある小さな桃を川に流しました。桃はくるくると回りながら、光る水面の上を滑るようにして流れていきました。
家へ帰る道すがら、おばあさんが息を切らせてこちらへ向かって歩いてくるのが見えました。何事かとおじいさんが駆け寄っていくと、何と大きな桃が川に流れ着いてきたというのです。おじいさんが慌てて家に帰ると、家の周りには何人かの村人が来ていました。人垣を割って家に入ると、なるほど大きな桃が座敷に上げてありました。
おじいさんは、ただ驚いて桃を見つめるばかりでした。しかし、あの占いを知っている村の男たちは早く桃を割るようにとおじいさんを急かすので、おじいさんはあわてて柴刈りに使ったナタを手にとって座敷に上がりました。そして、ナタを桃のてっぺんに振り下ろそうとしたその刹那、大きな桃が光ったかと思うと二つに割れ、中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのでした。
おじいさんの家は大騒ぎでした。占いを知っている男たちも、知らない女たちもこれを吉兆として、大いに喜びました。村人たちはなけなしの食料を集めて、宴を開き、これを祝い、子には「桃太郎」という名前が与えられました。
おじいさんも小さな命の誕生を喜びました。ただ、まだ文字通り真っ赤な赤ん坊の姿を見ると、またしてもあの鬼の子のことが思い出されました。もちろん、桃太郎には角も牙もありませんが、あの鬼の子に似ているように思えるのでした。
桃太郎が成長するにつれ、もう肌は赤くなくなりましたが、はっきりしてきた目鼻立ちがますますあの鬼の子に似てくるようでした。おじいさんは複雑な気持ちでいました。あの子が生まれ変わることが出来たのなら、こんなに嬉しいことはありません、しかし、この子の運命を考えると、それはとても辛いことに思えるのです。おじいさんは桃太郎があのことを言い出さないことだけを願っていました。そのためならば桃太郎が病弱に育って欲しいとまで願いました。それでも、村の乏しい食料にもかかわらず、桃太郎はすくすくと育っていきました。
そうして、その日がやってきたのでした。
おじいさんとおばあさんと桃太郎で朝食を食べていると、桃太郎は箸を置き、すっと背筋を伸ばして言いました。
「おじいさん、おばあさん、僕は鬼退治に行きます。」
これを聞いたおじいさんとおばあさんはびっくりして言葉に詰まった後、二人とも泣き出してしまいました。おばあさんは、桃太郎が立派に成長し、村を救う決意をしたことが嬉しくて泣いていました。
おじいさんは、自分の子と、鬼の子と、鬼の親のことを思って泣いていました。