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2008/07/15

 千葉県出身の僕にとって、その遊園地は比較的身近な存在であった。浦安市の人間ではなかったため、成人式で行くという事はなかったが、それでも県民感謝デーなんかもあったし、あそこは「東京」ではなく「千葉」だという思いは常に持っていた。
 そんな場所でひときわ脚光を浴びるあのキャラクターは僕にとって憧れの存在だった。そして僕は、あの場所を夢の国として規定する一方で、漠然と自分があのキャラクターになりうることを理解していた。夢の国に行った夜などは、一人そのキャラクターになった自分を夢想したものだった。目立ちたがりの癖に舞台度胸の無い僕には、スポットライトを浴びてかつ自分の姿を隠せるあのキャラクターになることが自分に最も合っている様に思えたのだった。
 あのキャラクターになる。その夢と現実を結びつけるために、僕はできうる限りの努力をした。何度と無く夢の国に通い、映画を何度も見直し、ダンスレッスンにも通い、なるべく赤いパンツを履くように心掛けた。ステージに立つ彼の動きを観察し、その動きが基本的に幾つかのパターンの組み合わせであることを理解し、その動きを何度と無く鏡の前で繰り返した。創始者の生涯を学び、金と時間の許す限り海外にある遊園地にも足を運び、念のため中国にある偽物にも行ってみた。
 その結果、僕はいつでも彼になりうる自信があったし、一日も早くその日が来ることを熱望した。だが、どんなに僕が準備万端整えたとしても、夢と現実を結びつける最後の一点が見つけることができなかった。つまり、彼と僕とを結びつけるプロセスがどうしてもわからなかったのである。
 当然ホームページはチェックしたし、地元の友達に頼んで新聞折込の求人広告も貰っていた。リクナビにも毎ナビにも日経ナビにも登録した。求人の広告があるところは全て目を通した。中吊り広告、新聞の隅。こんなとこにあるはずもないのに。あるのはクルーの募集ばかりで、僕の目指すキャラクターになるための糸口はさっぱりつかめなかった。
 途方にくれた僕は、ひとり夢の国に行って、アトラクションにも乗らず、園内をただ彷徨っていた。どんなに努力しても、夢と現実の間には超えられない何かがあることを思うと、いま自分の目の前にあるこの夢のような世界も急に他人事のように思えるのだった。夢と現実の狭間はとてつもなく広く、それでいて履歴書の紙一枚を挟み込むこともできないほど狭かった。
 僕は何度と無く書き直した履歴書を園内のポストに捨てて、夢の国を後にした。

 僕の元に差出人の書いていない封書が届いたのは、それから半月ほど経ってからの事だった。チラシに埋もれて出てきた薄いブルーの封筒を部屋に持って上がり、その封を開くと、中には夢の国の園内にあるホテルの予約票が入っていた。そして同封の便箋には、一週間後の日付と時間、そして見覚えのあるあのキャラクターのマークが印刷されていた。
 僕は最初その意味を飲み込めずにいたが、しばらくしてあの履歴書が彼の元に届いたこと、そして夢と現実が結びついたことを理解した。

 一週間後、僕は園内にあるホテルの前にいた。この一週間、僕は学校にも行かずに、部屋にこもって映画を全て見直し、知識を全て頭に叩き込み、そして彼の動きを復習した。やり残したと思うことは何一つ無かったが、それでも目前に迫った夢の迫力に押しつぶされそうだった。僕の夢が現実に押しつぶされるのが怖かった。あの封書が誰かのいたずらであるようにも思えて、足がすくんだ。
 意を決してフロントに行き、予約票を見せた。フロントの男性はなんら特別な素振りを見せず、僕を部屋に案内してくれた。便箋に書いてあった時間までだいぶ時間があったが、さすがに夢の国を楽しめる気がしなかったため、僕は部屋でただ時間が来るのを待った。天高くにあった日が傾き、窓から水上のショーと花火が見え、やがて園内から人の気配が無くなっていった。
 指定の時間になると、ドアの方でなにか音がした。行ってみてみると、ドアの下から例の便箋が滑り込んでいて、そこには、ある部屋の番号が書いてあった。僕は便箋を取り上げると、それをポケットに入れて、洗面所で顔を洗った。柔らかなタオルで顔を拭いて、そのままタオルに顔をうずめて、自分がこれまでやってきたことを思い返した。さっきまでやり残したことなど無いと思っていたのに、今は何もかも少し足りないような気がしてきた。震えを押さえるために腿を叩き、僕はゆっくりと部屋を出た。

 指定された部屋のドアは、外の部屋と変わるところは何もなかった。僕は便箋を取り出して、もう一度部屋番号を確認すると、大きく息をついて、ドアをノックした。
 中から、男性の声がした。ドアを開けて中に入る。その部屋の作りは、やはり外の部屋と違いは無かった。ただ、ベッドは無く、大きな机と椅子、そしてその前に椅子だけが置いてあった。
 返事をした男性は、机を前にして椅子に座っていた。歳は50台半ば、或いはもっと上かもしれない。気品のある紳士といった風で、白髪の多くなった髪を撫で付けて、黒っぽい燕尾服のようなものを着ていた。彼は自身のことを「彼」の代理人として自己紹介すると、僕に椅子を勧めた。
 それからのことはよく覚えていない。時間的には十数分だったのかもしれないし、一時間やもっとだったのかもしれない。ダンスや知識を披露することは無く、彼は僕がこれまでやってきたことを教えて欲しいと言い、僕は前につんのめりそうになりながら、それに答えた。それから彼がそれについて幾つか質問し、僕がまたそれに答えた。そんなやりとりで僕の「面接」は終了し、僕は元の部屋に返された。
 
 僕は部屋で電気も付けずにひとり今過ごした時間を反芻していた。何を聞かれ、何を答えたのかも良く覚えていなかった。ただ、夢と現実の狭間にいた感覚だけが残っていた。面接の前にあった後悔も今はもうなくなっていた。あの時間で全てが報われたような気がして、不思議な恍惚感が僕を包んでいた。
 暗闇の中で部屋の電話が鳴った。ハッとして時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。僕は受話器を手に取った。例の男性の声だった。

 「今日はありがとうございました。しかし、残念ながら今回は……」
 「そうですか。残念です。」
 僕は自分の夢が破れたことをすんなりと受け入れることができた。
 「理由をお聞きになりたいでしょう?」
 「そうですね。お願いできますか。」
 「それは本人から直接お聞かせした方がよろしいでしょうな。」
 男性がそういうと、電話を受け渡すような音がした。そしてまもなく、彼の例の甲高い声で、僕が彼になり得なかった理由が告げられた。
 『だって君、猫背だから!』

 もう何年前になるだろうか。今では僕は彼になるという夢を諦めているし、この話も誰にも信じてもらえないだろうから、話さずにいた。それに、これはひょっとしたら夢の国の極秘事項にあたるのかも知れない。
 でも僕も人間だから、自分がやったことを誰かに知って欲しくて、ここに書くことにした。それに実は、面接に呼んでもらった御礼を男性にも彼にも出来ていない。あの夜は何もかもが夢のようで、そんなことまで気が回らなかった。だからここであの男性と彼にお礼を言おうと思う。
 どうもありがとう。僕は君にはなれなかったけれど、クロネコヤマトで立派に働いています。