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2008/06/03

 「龍」と聞いて、諸兄はいったい何を思い浮かべるだろう。
 何でも願いを一つだけ叶えてもらえると思うだろうか。それとも昔話のアニメが始まったと思うのだろうか。いずれにせよ、諸兄の脳裏には天高く空を舞う龍の姿が思い浮かぶのだと思う。それは当然だし、それこそが龍の本分であろう。
 我輩も龍である。名前はまだ無い。恐らくこれからも無い。そして我輩は空を舞うことができない。器のふちより高く往くことは叶わない。我輩はラーメンの器に描かれた龍である。
 何の因果でこのような姿に生まれついたのであろうか。およそ龍たるもの、空を舞い、でんでん太鼓を持った子供を背中に乗せ、願い事の一つも叶えてみたいものである。
 だが我輩は器にへばり付き、お盆の上に乗り、ラーメンを一つ運ぶのが精一杯である。
 我輩を呼び出すのに、わざわざ世界中に散らばった七つの玉を集める必要は無い。ただ席に座り、一声かければ自ずからやってくる。実につまらぬ存在である。
 同胞たる神龍殿は大魔王に一度殺されているらしく、確かにそれはとんだ災難である。だがそれは、さしずめ有名税といったところだ。わざわざ大魔王様にご足労頂けるのであれば殺されても本望であろう。
 我輩の場合はどうか。我輩の生殺与奪を握っているのは大魔王どころか大学生のアルバイトである。彼らがひとたび手を滑らせれば、たちまち我輩は粉々。その生涯はまさに粉骨砕身ラーメン屋に尽くしてその幕を閉じることとなろう。有名税とは一生無縁。消費税とともに我輩は生きた。
 
 英知の過ぎたるは及ばざるが如し諸兄ならば、我輩の同胞、日光東照宮は鳴竜をご存知であろう。我輩と同じ平面に住みたる龍でありながら、その差は天と地。天井と器である。
 鳴竜殿は東照宮薬師堂の天井に鎮座しておる。鳴竜殿も有名税よろしく一度焼失の憂き目を見ているが、堅山南風画伯なる大層な名前の人物により復元されている。
 この鳴竜殿の真下にて拍子木を打つと、龍が鳴くとのことで、多くの人が鳴竜殿を拝観しているが、実はこの鳴竜殿の写真撮影は禁止されているという。
 その理由が宗教上のものか或いは保存上の理由かは存ぜぬが、なんとも羨ましい限り。我輩などは頼んでも写真など撮ってもらえそうも無い。何度か、逐一自分の食べたものを撮影している酔狂な人に取られたことがあるが、当然我輩が被写体たりえたわけではない。
 彼我の差を思うにつけ、泣きたいのはむしろ我輩の方である。我輩の鱗が濡れたのは、何も湯気のためばかりではないのだ。