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2008/01/21

祖父から祖母への手紙

 貴女と会ったのは私にとってもう何度目かの見合いの席でした。
 当時の私はそれが何かもわからないままに、ただ上を目指していました。私は貧しい農家の次男坊でしたから、家の中には私の未来はありませんでした。私はこれから放り出される社会という大海で溺れない様必死で勉強し、そして多少名の通った会社に入社してからもその井戸の中でただ必死でもがき続けていました。
 そんな私にとっては、叔父が度々持ってくる見合い話は面倒ごとでしかなく、足枷でした。私は叔父の顔を立てるためだけに見合いの席に座り、不遜な態度で彼女らの想い出に一点の染みを残すのみでした。
 貴女との見合いもそうなるはずでした。貴女との見合いについて、私は仕事の都合を理由にして随分と遅い時間を指定しました。その実は、その方が短い時間で済むだろうという算段があったからに外なりません。私はその日、昼過ぎまでゆっくり寝た後で、見合いの席に向かったのでした。
 見合いはいつも通りに退屈でした。私の叔父と貴女の御母さんが平凡な会話で凡庸な私たちを紹介した後に、私たちは散歩に出ました。私は無言でただ歩き、貴女も無言で私の後をついていました。私たちが歩き始めたのは夕暮れ時でしたが、冬の日は短く、私の目論見どおりに直ぐに日が落ちました。
 私が立ち止まって振り返り、「暗いのでもう帰りましょう。」と言うと、貴女は「ええ。」と頷きました。そして私が再び歩き出そうとすると、付け足すように言いました。
 「今夜は星が綺麗ですよ。オリオンが。」
 私は別段返事をすることもなく歩き出したように思います。見合いが終わり、家に帰った私は叔父に断りの電話をし、明日の仕事の準備に取り掛かりました。
 しばらくしてふと窓の外を見ると、なるほど確かに星空が美しくありました。すると貴女が最後に言った「オリオン」のことが妙に気になり始めました。私は字引を引っ張り出すと、三ツ星と四辺形から、オリオンに当たりをつけ再び空を見上げました。それまで私にとって雑然とした光でしかなかった星空の中に、このような幾何学的な並びがあることを私は面白く思いました。私は明くる夜もオリオンを見上げ、その次の夜もまた、かの星座を眺めました。
 しかし明くる日は曇天で、私はオリオンを見ることが出来ませんでした。私は黒く塗りつぶされた空を見上げながら、言いました。
 「今夜はオリオンが見えませんね。」
 私は叔父に電話をし、貴女にまた会いたいと伝えました。一度断っておいてまた会いたいなどと非常識極まりないと叔父は言いましたが、それでも先方に伝えてみることを約束してくれました。叔父もこれまでに無い私の態度に何かを感じてくれたのかもしれません。そして驚くべきことに、貴女は無礼で非常識極まりない私に会うことを了承してくれました。
 私たちが再び会ったのも、また遅い時間でした。しかし今度は貴女からの希望でしたね。私たちは二人並んで散歩をしました。まだ夕暮れ時でしたが、空にはオリオンが控えめに輝いていました。私たちは無言でしたが、私は貴女がこれからも私の横にいて、私の知らなかったことを教えてくれるだろうと思っていました。
 実際貴女は私に多くのことを教えてくれました。草花の名前を教えてくれました。四季の彩りを教えてくれました。家庭を持つ喜びを教えてくれました。子供を授かる喜びを教えてくれました。今になって振り返ると、貴女がいなければ気付くことも触れることもなかった数々の喜びが、貴女のおかげで一挙に押し寄せてきたような気がしています。
 そして貴女は今、愛する人と別れる悲しみを私に教えてくれました。しかし、その悲しみがまた、貴女と会えた喜びを私に教えてくれます。
 オリオンは何百、何千万年も前から空に瞬いていたのかもしれません。でも、私にとっては、貴女と出会って初めて、オリオンは空に存在したのでした。
 もうすぐ孫の誕生日です。星座の本を贈ってやろうと思うのですが、貴女はどう思いますか。