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2007/12/16

シャープペンシル

筆箱に忍ばせているシャープペンシルが僕の宝物だった。
小学校4年生時分、僕は当時としては珍しく塾に通っていた。それもバスに乗って通っていたので、同じ学年でその塾に通っているのは僕だけだった。当時の僕は自分のことを遊ぶ時間を奪われた奴隷というよりはむしろ、何かしらの特権階級であるように思っていたものだ。そしてその塾で入塾記念に貰ったのが、真赤なシャープペンシルだった。
僕の通う小学校ではシャープペンシルが禁止されていた。その理由をもし当時の先生たちに聞いてみたとしても、恐らく誰一人答えることが出来なかっただろう。禁止されているという事実のみが彼らにとって重要なのだから。でも、それは僕にとってもありがたいことだった。なぜなら、禁止されているという事実が、僕にとってのシャープペンシルの価値をより高めていたのだから。
当時の僕にとって大人びていること、大人びていると思われることには無上の価値があった。僕は自分がそのような地位にあるために手を尽くした。授業中、校庭に犬が入ってきても、雪が降っても絶対に席を立たなかったし、休んだクラスメイトのプリン争奪戦には、なるべく参加しないようにしていた。そんな僕にとって、大人の文具であるシャープペンシルはこの上なく魅力的だったのだ。赤色と銀色のみで構成されたそのデザインは、周りにキャラクター文具が溢れる中で、ひときわ大人びていた。
僕がシャープペンシルを愛した理由は他にもある。分解可能なその構造と重みは、何か秘密兵器のようなものを思い起こさせたし、そして芯をかえるという行為は、ピストルに弾をこめているように感じられた。そんな子供の好奇心を持って、シャープペンシルを愛していた。
もちろん学校では授業中もテストのときも、僕は周りの子と同じように鉛筆を使っていた。でも、「自分だけがその気になれば鉛筆以外も使うことができる」と思えることが、何よりも嬉しかった。そしてたまに仲のいい友達にだけそっと見せてやるのだった。僕の筆箱にある秘密を。
塾ではシャープペンシルを使っていた。そこでは多くの子供が同じようにシャープペンシルを使っていたので、自分だけが特別な存在になることは出来なかったが、それでも自分が特殊な集団に属しているという気分にはさせてくれた。
だがある日、塾での授業開始前に筆箱を開くと、そこにシャープペンシルは無かった。僕は驚いて、鞄の中も机の下も探したけれど見つからなかった。鉛筆は持っていたので、授業に支障は無かったのだが、周りが皆シャープペンシルを使っている中で、自分のたてる鉛筆の音がひどく恥ずかしいもののように感じられた。その日は漢字も図形も頭に入らず、ただ昼休みの終わり、友達のTに僕の秘密を見せたときのことを何度も思い返していた。あのとき、いつもより早く先生が入ってきて、僕らはあわてて席に着いた。そのときにTの荷物に紛れ込んでしまったのかもしれない。
��は足が速くてサッカーが上手かった。水泳の時間はいつもふざけてみんなを笑わしていたし、人気者といってよかった。でも少し悪賢いところはあって、図工の時間にフィルムケースで車を作ったときも、自分ではほとんど作らず友達にやってもらっていたし、宿題も自分でやってくることは稀だった。Tは宿題をやらずに怒られることを何とも思っていなかったが、僕は優越感と不公平感をまぜこぜにしながらTに宿題を見せていた。
帰りのバスの中で、僕は何度もTに言う台詞を幾つも思い浮かべていた。でも、どの台詞に対してもTはこう答えるのだった。
「そんなの知らないよ! 僕を疑ってるの?」
家に着くと、母が迎えてくれた。僕は小さな声でただいまを言って自分の部屋に行った。暗い部屋の中で、明日の台詞を呟きながら机の上に鞄を置くと、後ろをついてきていいた母が明かりをつけた。すると、机の上に真赤なシャープペンシルが浮かび上がった。
「それ、落ちてたよ。ごはんにするから早くいらっしゃい。」
そう言って母は台所へ行った。
一人になった後、僕はシャープペンシルを数回ノックし、そして、それをごみ箱に放り投げた。