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2007/11/20

手間はかからないが、金のかかる子だったと思う。

赤ん坊の頃は夜泣きもせず、ミルクを飲んだらすぐ寝ていた。
小学校でもJリーグピンバッチを転売して怒られた以外は特に問題は起こさず、中学校に上がると同時に札幌に引っ越すという時も喚いたりはしなかった。中学校も友達は少なかったが、特にグレることもなく、成績は中の上で卒業した。

ただ、高校は私立高校に入学。卒業後は一年間浪人して予備校に通い、また私立の大学に進学した。大学生になり初めて持った携帯電話も料金は親持ちだった。
就職後、家賃として幾らかのお金を払っていたが、母はそれをそのまま、毎月一定額振り込む代わりに利率が良くなるという口座に入金していた。しかしすぐに僕が転勤となり家賃を払うのを止めた為、母が代わりに毎月一定額を入金する破目になった。僕が仕送りをすれば済むのは自明だが、そこには触れずに僕は大阪に旅立った。

今でも月に一回、三連休の週は実家に帰っている。
地元の駅に着いたら、母にメールをして迎えに来てもらうのだが、ある時、中々母の車が来なかったので電話すると圏外のアナウンスが流れた。改めて実家の電話にかけてみると、3オクターブ高いよそ行きの声で母が出た。改めて迎えを依頼し、程なくして母が来た。
車の中で母に圏外だったことを話すと、母は電源を切っていたからだと言った。なぜかと聞いた僕に母はこう答えた。

「だってメール来ないんだもん。」


僕はあまり熱心にメールを返す方ではない。
それが家族ともなると尚更だ。母からの近況報告のメールや、「サッカー勝ったね!」なんていうメールに返信しないこともしばしばあった。僕は暗い部屋の中でセンターに問い合わせをしている母の姿を思い、胸を痛めた。実際部屋は暗くなかったと思うが、演出上暗い部屋を想像した。

僕は金を送れない分、メールくらいは送ることにした。
大阪では駐車場をモータープールと呼ぶこと、サッカーの感想、夕飯のメニュー。
母からはしばしば返信が無い。
やはり親子だと思った。