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2010/09/21

映画『トイレット』|家族とルールの再構築

 「1,000円なら観てもいいか」というほど映画が好きなので、MOVIXデーの今日、映画『トイレット』を観てきた。おすすめできる映画だったので、感想を書いてみる。

 三兄弟のママが亡くなり、長男レイは、それまで離れて暮らしていた、3人の「家族」と暮らすことになる。パニック障害を抱える次男モーリーと、大学生の妹リサ、そして母親が死の間際に日本から呼び寄せた「ばーちゃん」。
 兄弟はまだしも、得体の知れない「ばーちゃん」の存在に戸惑うレイ。そもそも英語が通じないし無表情。トイレが長い。あまりに相通じるものがないので、血縁関係を疑うのもわからないでもない。兄弟にDNA鑑定を提案するけれど、「冷たいヤツ」と一蹴される。それでもヘアブラシに残った毛髪から鑑定を依頼する研究所勤めのレイ。これだから理系は。
 ところでレイの人生における信条は、「明日が今日の繰り返しであるべき」、「お互いに邪魔しない」。これが彼のルール。だから彼は毎日同じシャツを着て、仕事に行く。
 けれど、「家族」と暮らすようになってから、整然としていたレイの生活にノイズが入り込む。「ばーちゃん」のせいで思う時間にトイレにも入れないし、仕事中には兄弟からつまらない用件の電話がかかってくる。
 そしてある日、弟が出先でパニック障害の発作を起こしてしまい、仕事を抜け出して迎えに行く。見つけて無事に家へ送り届けると今度は「ばーちゃん」が行方不明。そのまま夜まで探し続け、途中で同僚から借りた車を壊してしまう。さらに家に戻るとなんと「ばーちゃん」はもう戻っている。猫のエサを買いにチャイナタウンへ行ってきたそうだ。自分の苦労も知らず、楽しそうに餃子を包んでいる兄弟と「ばーちゃん」。
 もううんざりのレイ。血が繋がっているからって、なんで僕がこんな奴らの面倒を見なくちゃならないのか。僕の人生から出て行ってくれ。怒りをぶちまけて部屋に戻る。

 その日の深夜、一人ダイニングでビールを飲んでいるレイに、「ばーちゃん」が餃子を出す。レイが一口ほうばると、ママと同じ味がする。夢中で食べるレイ。そしてばーちゃんはおもむろにタバコを吸いはじめる。ここからがベストシーン。
 タバコを吸う「ばーちゃん」に、「洗練されていない人が吸うものだよ」と言うレイ。でも「ばーちゃん」はタバコを差し出す。英語わからないしね。少し躊躇してから、レイはそれを受け取り、タバコを吸う。レイがタバコを受け取った理由は、今日一日のストレスはもちろん、「ばーちゃん」が与えてくれたものだからだろう。
 そしてこれが、レイがはじめて自分で自分のルールを壊した瞬間。「タバコは洗練されていない人が吸うもの」という自分のルールを彼自身で壊したわけだ。これまでは家族に自分のルールを壊されていたと思っていたけれど、そもそもそのルールって正しかったのかなって気持ちになったのかもしれない。

 「家族」が一つになったところで、一波乱起こしたくなるのが脚本家の性なので、このタイミングでDNA鑑定の結果が来る。結果は不一致。ただし、仲間はずれは「ばーちゃん」ではなく、レイ自身。実はレイだけが血の繋がっていない「家族」でした。そしてそれを、弟妹そして「ばーちゃん」も知っていた。だからDNA鑑定で「家族」かどうかを決めようとしたレイを「冷たいヤツ」と言ったのね。この間まで、血縁関係に足を引っ張られていたと思っていた自分が、血縁関係もない彼らに「家族」として迎えてもらっていたなんて。
 「家族」=「血縁関係」というレイのルールがまたも崩れ去る。それでもまぁ色々あって立ち直るレイ。自分でルールを壊したことのある人間は、ルールが壊されてもまた立ち上がることができるのだ。

 そろそろ映画もフィナーレに向かう。老人が映画に出演したときの致死率は9割を超えるので、残念ながら「ばーちゃん」も最終的には死んでしまう。死に至るまでの「ばーちゃん」と過ごす「家族」の時間は濃密で、「ばーちゃん」が唯一声を発するシーンもとても良い。
 けれど、「ばーちゃん」による家族の再構築を描いた映画なので、このあたりは全てエピローグかなと。レイの復活でこの映画の役割はきっと果たされた。
 あとは綺麗に軟着陸するだけでよかったのに、なんであのラストにしちゃったかなぁ。