今週の金曜日から一週間ほどトルコに一人旅をすることになった。
僕はこの数年ずっと、年1~2回のペースで海外旅行へ行っている。行く先もモロッコや、クロアチアやチェコなど様々だ。せっかく旅行に行っているのだから、旅行記などをしたためてブログのネタにしたいところだけど、どうもうまくいかない。
チェコは無理矢理書いたけれど、クロアチアは途中で放り投げてしまった。モロッコもまた然り。
旅行中にメモを取るほどマメでなく、過去のことはほとんど覚えていられない性格が災いしているらしい。
この調子だと、今回もトルコ帰りに旅行記を書くのは難しそうだ。
だから、旅行前に書いてみることにした。
以下は、『地球の歩き方』をはじめ各種観光情報と、自分自身の行動パターンを参考にして書かれた、まだ行っていない旅の記録である。
■一日目:出発
21時40分成田発エミレーツ319便に乗るため、仕事帰りにそのまま空港へ向かう。金曜の夜、早い時間帯の電車はまだ空いている。多くのサラリーマンは飲み屋を目指し、僕はトルコを目指す。場所は違えど、非日常を求める気持ちは同じだ。トルコは俺に任せろ、そっちは新橋を頼む。
成田空港のトイレで着替えを済ませ、バックパックから安物の腕時計を取り出して右腕に巻く。長財布の現金とクレジットカードを、二つ折りのナイロンの財布に移す。スーツと仕事用の荷物を自宅に送った。これで僕は会社員から旅行者へと生まれ変わる。
中継地のドバイまで10時間のフライト中、機内食と『This is It』をそれぞれ3回堪能した。何回聞いても『Smooth Criminal』におけるアニーの安否がわからない。
ドバイに着いたのは定刻より少し早い午前3時20分。ここからイスタンブールのフライトまで時間があったので、ドバイに一旦入国する。とは言え、こんな時間にやることも無いため、空港近辺をウロウロし、世界一高いビルの写真を少し撮っただけだった。
■二日目:トルコ入り
飛行機は定刻通り15時にイスタンブールへ到着した。手荷物しかない僕はいつも通り一番乗りで入国審査に臨む。審査官はこれからやってくるであろう大量の入国審査で憂鬱そうだ。そんな彼が最初の日本人に時間をかけるはずもなく、あっさりと通過する。
到着ゲートにあふれる客引きたちが、バックパックを背負ったカモに群がってくる。やはりトルコはアジアだと実感する。もうヨーロッパを気取るのはやめないか。
例によって新生銀行のカードを使い、ATMでお金を下ろしてから市内へと移動する。何カ国旅をしようとも、いつだってその国最初の公共交通機関を利用するときは不安になるものだけれど、なんとか無事到着することができた。
今夜の夜行バスでカッパドキアへ移動するため、まずバス会社の窓口へ行く。22時発のバスを予約し、それまでイスタンブールを徘徊する。
おそらく気温は日本とさほど変わらないけれど、乾燥している分過ごしやすい。特に日陰にいると空気がひんやりとして気持ちが良い。ただ、排気ガスがひどくて綺麗とは言いがたいけれど。
■三日目:カッパドキア
長距離バスのたびはとても快適だった。快適さは「バスの設備×道路の舗装×隣にいる奴の体臭」で求められるけれど、いずれも問題なかった。
バスの停留所から歩いて、予約していた「Guven Cave Hotel」へ。時間が朝の8時と早かったけれど、部屋が空いていたため、早くチェックインさせてもらえた。
宿のオヤジがカッパドキアでの予定を聞いてきたので、「決めてない」と答えると、色々相談に乗ってくれた。気球ツアーも薦められたけれど、一人で気球に乗ると寂しくなりそうだからやめた。結局名所を一日かけて回るツアーに当日参加した。
カッパドキアは、ドラゴンボールとドラゴンクエストを足して2で割ったような場所だ。変な岩があって、変な洞窟がある。岩は自然の営みで、洞窟は人間の営み。手付かずの自然もいいけれど、人間のスパイスが効いた自然もそんなに悪くない。
■四日目:続・カッパドキア
二日目は自分でカッパドキアを歩いてまわった。奇妙な形の景観と対照的に、道端では独創性の欠片もないみやげ物が並んでいる。観光地で聞く日本語ほど警戒心をかき立ててくれるシロモノはそうない。
夜は「Guven Cave Hotel」にもう一泊する。洞窟部屋は冷たくて気持ちが良いけれど、部屋の乾燥っぷりが尋常ではない。濡れタオルを口に当てて寝ることも考えたけれど、窒息死の危険性を感じてやめた。トルコの土になることを決心するほど、僕はまだこの国のことを知らない。
■五日目:サフランボル
朝9時半発のバスで、サフランボルへ。昼過ぎにアンカラで乗り換えて、サフランボルに着いたのは16時過ぎ。まずは観光案内所に行って、宿を紹介してもらう。ここから先は宿を取っていない。
古びたドミトリーに荷物を置いて、街を散策する。サフランボルはこの街並みが世界遺産に登録されている。木材と土壁でつくられた民家は、温かみがあるけれど機能美を感じさせるシンプルな概観。内部を公開している家もあるようだけれど、今日はもう閉まっていた。明日また挑戦することにし、そのまま歩いて街を一望できるフドゥルルックの丘へと登った。
日本から遠く離れた異国の地で高いところに登ると、現実からすっぱり切り離されたような気持ちになる。犬がやってきて僕の周りをぐるぐる回ってから、隣に座った。僕もそこに腰を下ろし、しばらく町を眺めていた。
■六日目:続・サフランボル
朝からサフランボル歴史博物館へ行き、それから公開されている民家を何軒か見てまわった。時間があったのでタクシーでヨリュク村とインジェカヤ水道橋へも行った。
夕食はロカンタ(大衆食堂)で、パンと豆のスープと、羊肉の煮込みを食べる。トルコに着てから、色々なものを食べているけれど、何の変哲もないパンが何よりも旨い。この無骨な見た目のパンにどこにこの旨さが潜んでいるのだろうかといつも不思議に思う。
■七日目:アンカラ
サフランボルからイスタンブールを目指す場合、もっとも効率の良い移動手段はバスだ。本数もそれなりにあるし、6時間ほどで到着する。僕も最初はそのつもりであったけれど、この旅行全体について考えたとき、ふと疑問が湧いた。「鉄道に乗らない旅行なんてあっていいのだろうか?」
それは僕の中の石丸謙二郎が許さなかった。僕は無理矢理鉄道に乗るために、サフランボルからアンカラ行きのバスへ乗った。
アンカラとイスタンブールを結ぶ路線は、一日10便ほどあるけれど、時間帯が朝と夜行に集中している。4時間かけてアンカラにやって来た僕は、22時30分発のANKARA EKSPRESIでイスタンブールを目指した。
■八日目:イスタンブール
列車は朝の7時にイスタンブールのHAYDARPASA駅に到着。時間もお金も余計にかけたけれど、何となく気分が良い。町の中心部までタクシーで行き、『地球の歩き方』に載っている適当な宿に落ち着いた。
今日のうちに見所を押さえておきたかったので、開門と同時にまずトプカプ宮殿へ。次いでアヤソフィア博物館、さらにブルーモスクと怒涛の三連続。さすがに後半に行くほど感動が薄れるあたりは、「馴れ」の怖さを感じた。
そしてグランドバザールへ。ここは予期していた通り、「寄るだけ無駄」というスポットであった。溢れる日本語と繰り返される値段交渉。この一連の流れはモロッコで腐るほど体験したので、写真だけ撮り歩いてそのままスルーしてしまった。
■最終日:続・イスタンブール
いよいよ最終日。
旅行先で一番面白いのはスーパーマーケットということで、人に尋ねながらスーパーへ。店内での浮きっぷりがまた楽しい。ネスレやillyに気をつけながら、胡散臭いインスタント食品を購入。あと、母が集めている鍋つかみも。
市街地へ行き、スポーツショップへ。自分のためにサッカーのユニフォームを購入。ガラタサライとフェネルバフチェと、ベシクタシュ。
宿へ戻り、荷物を全てパッキング。来るときの2.5倍に膨れ上がったバックパックを背負い、空港へ。小心者なので、フライトの3時間以上前に着いてしまう。毎度のことだけれども。
さて、この旅行で僕は何を得たか。鍋つかみやサッカーユニフォーム以外の何か。それはまだわからない。単純に何も得ていないのかもしれない。ただ、僕が何か得たのだとすれば、それが簡単に言葉にできないものであることを願うばかりだ。
本当に大事なものは眼に見えないし、言葉にもできない。
��-まだ出発していない夜、自宅にて。