おじいさんは夏になると毎日のようにスイカを買ってきては、近くの川で冷やしてから、縁側に並んで家族みんなで食べていました。そしてスイカを口に含んでは、誰よりも遠くにタネを飛ばすのでした。
あるとき、おじいさんは庭の片隅に、短い「つた」が生えているのを見つけました。おじいさんが飛ばしたスイカの種がひとりでに育っていたのです。
おじいさんはこれ幸いと、手間暇を掛けてスイカを育て、次の夏には自分の作ったスイカを食べることができました。
おじいさんはスイカ作りに一生懸命になり、やがて八百屋さんに並んでいるどのスイカよりも大きなスイカを作るようになりました。ご近所さんから請われて、おじいさんはこのスイカを「おじいさんの大きなスイカ」として売るようになり、大変喜ばれました。
しかし、おじいさんの住むこの小さな村にも、グローバリゼーションの波が容赦なく押し寄せ、飲み込まれていくのでした。
外国から、おじいさんのよりももっと大きなスイカが入ってくるようになると、「おじいさんの大きなスイカ」は、ぱったりと売れなくなってしまいました。
おじいさんは、より大きなスイカを作ろうと昼夜を問わずやっきになって勉強し、畑に出続けました。それでも、外国からやってきたスイカより大きなものを作ることはできませんでした。やがておじいさんは無理がたたって、ついに体を壊してしまいました。
おじいさんがスイカを作れなくなると、もう家族で縁側に並んでスイカを食べることもなくなりました。
おじいさんは子どもたちにスイカ作りを続けて欲しいと思っていましたが、子どもたちは「立派な会社勤めで」忙しく、とてもそれを口にすることはできませんでした。
それでも、孫娘の一人が、おじいさんの思いを感じ取っていました。何より、その子はおじいさんの作るスイカが大好きでした。
おじいさんが亡くなったあと、大きくなった孫娘はおじいさんの畑に再びスイカの種を植え、おじいさんのやり方そっくりそのままで、スイカを作りました。
世の中ではたくさんのスイカが売られていて、「おじいさんの大きなスイカ」はむしろ小ぶりになっていました。孫娘は、スイカに新しい名前をつけました。
「おじいさんのスイカ」
甘くて美味しいおじいさんのスイカは、とても喜ばれたのでした。