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2008/02/27

苺がうまい。

会社帰りに焼きそばの材料を買いにダイエーに寄った。
 地下に下りかごを手にして野菜売り場に入った瞬間、甘く酸いた匂いに気付いた。苺だ。苺のパックが陳列棚に行儀よく並んでいる。そしてまたパックの中で苺が行儀よく並んでいる。ただその香りだけが自由気ままに辺りを飛び回っている。苺は前から売っていたが、こんなにも香ったことがあっただろうか。
 僕は空のかごを手にしたまま息を深く吸い込むと、ちょうどそのとき前を通り過ぎたおっさんの加齢臭がした。世の中良いことばかりは続かないものだ。しかしおっさん過ぎれば匂いも忘れるもので、またそこには苺の香りが一面立ち込めていた。
 買うべきか否か。そもそも僕は苺、というか果物全般があまり好きではない。加えて、値段が498円。高い。今日の昼を200円で済ますか300円まで出すか人生の決断を迫られた身としては、あまりにも高い。高い。が、それ以上に香り高い。
 僕は並んだ苺の1パックを丁重にかごへと迎え入れた。苺の登場により焼きそばは残座に過ぎない存在となった。僕は野菜を幾つかつまみ上げ、そばを買い忘れるすんでのことでかごに放り込んだ。
 家へ帰る道すがら、僕は歩きながら二度三度と苺の香りを確かめた。それまで降っていた雨が街の匂いを洗い流してくれたおかげで、その甘い棘のある香りはより鋭敏に感じられた。きっと今日の雨がずっと降り続いていたとしたら、僕は傘と鞄でふさがった手にビニール袋をねじ込もうとはしなかった。雨が止む時間まで仕事をしたおかげで苺を買うことが出来たとするならば、今日の残業も意味があったように思える。
 いつ食べよう。焼きそばの前に食べてしまおうか。食前と食後に分けようか。いや、一度食べたらたぶん止まらない。思い切って風呂上りまで待つべきか。風呂上りは舌ものぼせて味わえないかもしれない。
 どうやって食べよう。やはりそのまま食べるべきか。フォークの背でつぶして、砂糖と牛乳と食べようか。少し火を加えてジャムのようにして……。
 そんな想像をしているうちに家に着き、いざ焼きそばを作る準備をしていると、肉を買い忘れていたことに気付いた。苺に出会ってから、焼きそばの凋落ぶりには涙を禁じえない。肉の代わりに苺を……などとグロテスクな想像を一瞬めぐらした後、野菜だけの焼きそばを作り、食べた。
 さて、苺である。冷蔵庫から取り出すとまた香りをかぐ。ひんやりとして甘い。形はみな円錐形をしているのだが、皆ごつごつとしていて、その枠からはみ出している。甘さで膨らんでいるように見える。丸みを帯びた円錐の先端は、特に赤く柔らかそうだ。
 苺を一つつまんでヘタを取ると、口の中に放り込んだ。甘くて酸っぱくて柔らかい。うまい。次の苺は先端だけかじってみる。甘い。ただただ甘い。残りを放り込む。うまい。
 残りの彼らを万全の体制で迎えるべく、傍らに牛乳を用意した。昨日、158円の牛乳ではなく敢えて169円のメグミルクを購入していた己の慧眼を讃えたい気分である。
 苺を食べて、牛乳を口に含む。甘い。牛乳が甘い。苺が甘さの後に酸味を残してくれるので、牛乳の甘みが非常に強く感じられる。たぶんそんなシステムだろう。
 『泣いた赤鬼』で言えば、苺が青鬼で牛乳が赤鬼だ。本当は二人とも甘いのに、青鬼が酸味を残してくれるおかげで、赤鬼の甘みが何とも際立つ。
 なんていい奴なんだ。青鬼。