チェコを旅行したとき、都市間の移動には鉄道を利用した。僕が乗った電車の多くは4~6人がけのコンパートメント(個室)になっていて、その中で僕は中年の夫婦・若いカップル・子供と母親など色々な人と乗り合わせた。
とても気さくなチェコの人々は皆一様に見知らぬ外国人である僕に積極的に話しかけ、ついには食事にまで招待してくれたというようなことは一切なかったが、何の会話をするでも無いその距離感がまた良い。国籍も年代も全く異なる人間の人生が、コンパートメントの中で一瞬交差することを思うと何とも言えない「あや」を感じる。
例えば中年夫婦は半世紀近くずっとチェコの国内で暮らしていたとする。二人はその間に二人の結婚や国の分裂やホッケーの銅メダルなど様々な出来事を経て、今郊外へと向かう電車の一車両に乗っている。僕はそんな二人より四半世紀遅れて極東に生まれ、結婚もせず国も分裂せずホッケを居酒屋で食べる。いままでチェコで暮らす夫婦のことなど一度たりとも意識したことは無い。そんな僕と夫婦が、何の約束もせずにまさにその日その時間のその車両のその一室に乗り合わせる。
それが運命だなどとは思わない。運命であれば僕は今ごろ子供のいないその夫婦に養子として迎えられてチェコで幸せに暮らしていたはずだから、単に偶然だろう。僕は夫婦と親しく会話を交わしたわけでもなければ、若いカップルと三角関係にもならず、子供と母親に養育費を払ったわけでもない。彼らに会わなければまた別の誰かとあっただけの話だろう。恐らく僕も夫婦もカップルも母子も、あの日あの時乗り合わせたことはすぐ忘れるだろう。でもだからこそ面白い。
とても双方の人生において必要と思えないような、でも確かに人生の交差がそこであったという事実、その距離感が何とも面白いと思いませんか。