このブログを検索

2011/07/18

会社を休むついでにボランティアバスツアーに参加してきた。


大きな地図で見る
 6月は3連休がない。
 僕は毎年6月は月曜日か金曜日に有給を取得し、自主的に3連休をつくるように努めてきたのだが、今年は諸般の事情により、それができなかった。
 そんな状況で7月に入り、週5で働き続けることに限界を感じ始めていたある日、会社に有給の「ボランティア休暇」なるものがあることを知る。会社は休めるし、有給だし、聞こえは良いしで、夢のようなこの制度を行使するために、ちょっとボランティアに行ってくることにした。

 今回参加したのは「めもり~旅行」の主催する「復興日本ボランティアバスツアーIN七ヶ浜」というツアーだ。参加申込みにあたり、主催会社名のうさんくささに逡巡がないでもなかったけれど、ある程度の道具が用意されていることと、ボランティア保険に一括で加入できること、宿・食事付きという手軽さに惹かれ、このツアーに参加することにした。

 14日木曜日に、いつも通り仕事を適当にやっつけて、一旦帰宅。バックパックに荷物をまとめて、24時10分頃に池袋へ。ほどなくして集合場所に大型の観光バスがやって来た。
 今回の参加者は37名。男女比は1:3で女性のほうが多く、年齢層は20代~30代が中心だけれど、71歳男性の参加者もいた。(のちに参加者から「長老」と呼ばれる。)
IMG_7099
 暑苦しいメッセージつきのバスで移動します。

 添乗員はめもり~旅行のウエマツさん。IT系の企業を定年退職後に、添乗員を始めたという、いかにも人の良さそうなお父さん。あまりにも人が良いためか、しばしば笑って良いのか微妙なラインの話をしながら笑っている。
 「先週地震があったでしょ。それで今回の宿泊先にもまた被害が出ちゃって(笑)」
 「前回参加者の皆さんで砂浜に出た途端に地震が着て、もうすぐに避難(笑)」
 途中2回の休憩をはさみ、8時前に七ヶ浜に到着。ボランティアセンターに向かう前に一旦バスを停め、20分ほど海岸付近を歩き、七ヶ浜の状況をその目で見るよう促される。
 海岸には大きなコンテナが打ち上げられ、海岸に沿う松林は傾き、多くは枯れかけて赤茶色に変色している。家の多くは基礎を残して全て津波によってさらわれ、道路が割れて、陥没していた。
IMG_7082

IMG_7075

IMG_7067

IMG_7070

IMG_7068

 8時半頃に七ヶ浜ボランティアセンターに到着し、受付を済ませる。ここでまず、「マッチング」と呼ばれるボランティアのハローワークが行われる。
IMG_7089
 コーディネイターが当日の仕事内容と募集人数を発表し、希望する人は挙手をしてその仕事に参加する。この日のボランティア希望者は約100名。希望者には地元の人はもちろん、栃木や岐阜の社会福祉協議会からの団体参加者と、個人の参加者もいるようだった。(後で話を聞くと、原則個人参加のボランティアは断っているとのこと。僕の印象としても、ボランティアのプレイヤーよりもむしろ、オーガナイザーが不足しているようであった。)
 僕はやはりボランティアの花形(?)である外での作業を希望し、その通り屋外での瓦礫撤去をすることになった。今回は個人宅の瓦礫撤去をするらしい。
IMG_7098
 ボランティアセンターでは長渕剛が顔芸でボランティアたちを励ましてくれる。

 作業現場の近くまではツアーのバスで移動する。今回の作業者は約60名。駐車スペースに一旦集合し、リーダーの小田原さんが注意事項を説明する。
 怪我をしないこと。働かなくても良いから怪我だけはして欲しくない。
 依頼者のかたと無理にコミュニケーションを取ろうとしないこと。作業をしていれば気持ちは伝わる。
 地元のかたが通ったら元気に挨拶をすること。返事がなくても挨拶をする。
 個人的には3番目の注意が一番ハードルが高いので、なるべく道路に面していない場所で作業をしようと思った。

 現場へと歩いて向かう。作業をするに当たっての僕の服装は、踏み抜き防止の長靴にミリタリーパンツ。サッカーの半袖ユニフォームにボランティアであることを示すビブス。怪我と日焼け防止のアームガードをし、軍手の上からさらにゴム手袋。マスクに防塵ゴーグル、首の後に冷えピタを貼り、手ぬぐいをさげ、帽子をかぶっている。
 安全と避暑はトレード・オフの関係にある。朝の9時過ぎで、気温はまだ30度は下回っているような気がするけれど、歩いているだけで汗がしたたり、上着が肌に貼りつく。

 現場で水分補給や休憩、土のうの結びかたなど、細かい注意事項が与えられ、10時ごろに作業を開始。今回は2棟の個人宅(基礎以外は何も残っていないけれど)で草むしりをし、瓦礫を撤去する。
 作業内容を個別に指示されるわけではないので、とりあえずスコップを手にして、草むしりをしてみる。よく考えれば僕は自宅の草むしりもしたことがない。
 僕の頭の中から草むしりのイメージを呼び覚まし、草を手で掴んでむしってみる。しかし、葉の上のほうが千切れるばかりで、根が残ってしまう。そこで、左手で草を掴むと同時に、右手のスコップを根元付近の土に突き立てる。これでだいたいの草は根こそぎ引き剥がすことができる。
 草むしりの奥義を体得した僕の次の課題は、この作業をどう効率よくやってのけるかだ。作業の効率化を阻む要因として、まだ抜いていない草ともう抜かれた草の区別が難しいという点がある。自分あるいは他の人がむしった草の残骸が散らばっているため、どれが根の張った草であるのかの見分けが難しく、いざ取り掛かろうとしたら、ただ葉がそこに落ちているだけだったということがよくある。
 そこで僕は、作業前にスコップで地面をならすことにした。スコップの側面で地面をひっかくようにし、細かな砂利や草の破片をどかし、そこで引っ掛かりがあった草を根こそぎ引っこ抜くようにした。
 これにより僕の作業は質と速度の面で大幅に向上し、他の人が作業した場所に比べて明らかに草の残存率が低いという成果をあげることができた。
 履歴書に書くことができるくらいの草むしりの成果をあげて、満足したところで、1回目の休憩が指示される。10時に作業を始めてから約50分が経過していた。

 スポーツドリンクを飲み、塩飴を舐める。近くには、建物がないため、日陰がないけれど、海のほうから吹き抜ける風が気持ちよい。それでもゴーグルから汗がしたたり、マスクはびっしょりと濡れている。
 10分ほどの休憩ののち、再び作業開始、その後30分ほど作業したところで、午前中の作業は終了となった。作業時間は約1時間半と、思っていたよりも短い印象。体もそこまできつくない。

 一旦ボランティアセンターに戻り、ツアーで振舞われたおにぎりを昼食に食べる。バスの中で少し寝て、13時からまた作業を始める。
IMG_7090
 流石に昼を過ぎ、気温もだんだん高くなってきているのが感じられた。午後も引き続き草むしりに精を出していると、誰かに肩を叩かれる。そちらを見上げると、常駐でボランティアをしているネイサンだった。筋骨隆々で、髭をたくわえた、いかついアメリカ人だ(たぶん)。
 ネイサンは僕に大きなスコップを差し出し、「ヘイ、ライジング・サンよ。お前の見事な草むしりには正直度肝を抜かれた。お前は草むしりで終わらせるには惜しい人材だ。その才能を俺と、そして被災者のために貸してくれないか。」と言わんばかりに、「ちょっとこっちを手伝ってくれ」と言った。
 ネイサンの作業は、細かく砕かれた瓦礫をスコップですくい、バケツの中で口を開けた土のうに放り込むというものだ。
 バケツは2つ用意され、土のうがいっぱいになると、栃木市社会福祉協議会から来たヒラノくん(20歳くらいの好青年)が入れ替えてくれる。ネイサンがガシガシ瓦礫を放り込むため、ヒラノくんはとても忙しい。
 草むしりに比べてやや創造性には欠けるけれど、なかなか華のある仕事だ。
 実際にとりかかってみる。これはなかなかきつい。まずスコップがなかなか瓦礫の中に入っていかない。先ほど「細かく砕かれた」と書いたけれど、まだ大きな瓦礫もたくさん混ざっているので、そうすんなりとはスコップが突き立たない。
 そしてやや腰を沈めた姿勢で作業するため、足腰に来る。何よりも気温がぐんぐんと上昇している。
 僕とヒラノくんは途中何度も目を合わせ、このネイサン班の作業が他の部署よりも明らかにハードであることをお互い確認する。僕のバケツを入れ替えるときにヒラノくんは言った「ここの作業量ちょっとおかしくないですか?」。僕は滝のような汗でそれに応えた。

 午後も50分ほど作業し、休憩の指示が出る。何人かが道路の向かいにあるガソリンスタンドで休憩していたので、そちらに行くと、ホースで水浴びをしていた。僕も早速参加し、頭と首筋に水をかけてもらう。首筋が冷やされると、冷気が一気に全身を駆け抜ける。ものすごく気持ちが良い。
 休憩の終わりに小田原さんから、しばらくしたらまた休憩を取るけれど、それまでに疲れたら各個人で周りを気にせずにしっかり休憩を取るように指示が出る。僕はその言葉を深く心に刻み込んだ。

 休憩後も引き続きネイサン班で作業をする。時刻は2時過ぎ。もっとも暑い時間帯だ。瓦礫をすくい、投げ入れる。瓦礫をすくい、投げ入れる。土のうがたまると口をしっかり縛って運ぶ。そしてまた、瓦礫をすくい、投げ入れる。
 瓦礫は無尽蔵にあるように感じられ、僕の体力は明らかに目減りしている。手を休めて、腰を伸ばす。尊敬する小田原さんの言葉を思い出し、ぼちぼち休憩をとろうかなぁなどと考えていると、ネイサンがこちらを見て言った。
 「I can do it. You can do it!」
 小田原さんを呼んでネイサンを説教してもらおうと思ったけれど、仕方ないので休みなく働く。その後も作業を続け心が折れかかったとき、どこからか「ボランティアさん、どうもありがとぉ~」という小さな女の子の声が聞こえた。
 いよいよ幻聴まで聞こえてきたかと思ったけれど、声のするほうを見ると、道路をゆっくりと走るワンボックスタイプの車の中から、2~3人の女の子が繰り返し声を張り上げていた。なかなか良い教育をしているじゃないか。参加者はみな手を休めて、車に向かって手を降っていた。

 この日は3時半まで作業をしたのだが、結局2棟の瓦礫撤去は完全には終わらなかった。今朝、この面積と人数の比を見たときには、すぐに終わると思っていたけれど、実際はそうではなかった。
 草はむしらなければいけないし、大きな瓦礫は砕かなければならない。そしてそれらは土のうに詰められなければいけないし、そして土のうは運ばれなければいけないのだ。
 「復興には時間がかかる」ということは耳にしていたけれど、そのことを身を持って体感した。

 この日の作業が終了したので、ボランティアセンターに戻り、宿へ向かう。宿泊先は仙台市内にある「La楽リゾートホテル・グリーングリーン」。参加申込みをしたときは、どうせ大部屋で雑魚寝だろうくらいに思っていたのだが、とても立派なホテルであった。
 参加者四名での相部屋で、皆で『ゲド戦記』を見ながら、いつの間にか寝ていた。
IMG_7091

 翌朝は7時20分に宿を出発。9時前にボランティアセンターに到着し、再びマッチング。この日は200人近くのボランティア希望者が来ているそうだ。
 今日も外での作業をしたかった(何だかんだで汗だくの作業は気持ちが良い)けれど、支援物資の米を仕分けするのに男手がいるということなので、屋内作業となる。ボランティアセンター内にうず高く積まれた米袋の数を、女性10名、男性3名で数える。
 米は2kg~30kgまでの袋がおそらく300袋近くはあるだろうか。30kgの袋は動かすのが大変であるため、積まれている状態で数えて良いとのこと。コーディネイターさん曰く「3~4袋くらいずれてしまっても構いませんから」。
IMG_7094
 幾つかのグループに分かれて作業を開始。男手のいるグループで重めの袋を数え、おばちゃんのチームに2kgの袋を依頼する。米袋はきちっと積まれているわけではないため、一袋ずつ積み直しながら数える。15kgや10kgの袋の運搬はそれなりに重労働ではあるけれど、やはり屋内での作業は、日差しがないので比較的快適だ。
 重めの袋を一通り数え終わったところで、おばちゃんのチームの進捗を聞いてみると、2kgの袋は数え終わり、その隣にあった10kgの袋も数え終わっているという。人生経験に基づいた迅速な作業に驚嘆する若者たち。(その後の休憩時間でおばちゃんが「30kgの袋がズレてもいいってことは、2kgの袋はその15倍ズレても大丈夫ってことよね」と言っていたのが気がかりではあるけれど。)
 米袋のカウントは1時間半ほどで終了。その後20分ほど時間が空いてしまう。短い滞在期間のなかで、手持ち無沙汰になることに焦りを隠せない参加者たち。やはりオーガナイザーが不足している。
 その後フリーマーケット用の荷出し作業などをして、作業は終了。1.5日間のボランティア活動が全て終了した。

 今回ボランティア活動に参加して感じた印象のひとつはオーガナイザーが不足していること。そしてもうひとつは、都市機能の復興と生活レベルでの復興との間には大きなタイムラグがあるということだ。
 移動中のバスの中から見ると、大きな道路やコンビニなどの多くは復興しているように見えた。けれど、個人のレベルで言うと、まだ多くの人は仮設住宅に住んでいるし、彼らの家は瓦礫に埋れている。そしてその撤去にはとても時間がかかる。
 これからきっと感心が薄れていく中で、どのようにして継続して支援していくかが課題なのだろう。
 僕もまた会社が休みたくなったらボランティアに行こうと思う。

IMG_7085