これから語られるのは、人生初の海釣りに挑んだ男たちの物語。
今はもう過去となってしまったあのときの現在よ。長い時と拙い筆に打ちのめされて、それをありのままに伝えることなど願うべくもないけれど、せめてその欠片、或いは痕跡だけでも残してくれはしないだろうか。
曇天に蓋をされたJR高田馬場駅のロータリーは蒸し風呂のようで、座っているだけで汗がにじみ出る。鳩は羽音を、喫煙者は煙を、ホームレスはダンボールを残し、そこに現れては消えていく。
僕と友人IとAは約束の5分前には集合場所に集まっていた。昔から時間にだけは正確なのだ。僕は千葉、Iは神奈川、Aに至っては群馬という遠方にも関わらず、皆集合時間前に現れた事実に、この旅行にかける意気込みを感じ、身の引き締まる思いであった。
そんなときに幹事のTが渋滞で遅れると連絡をよこしてきた。
はるばる県境を越えてやって来た僕らが時間通りに来て、世田谷在住のTが遅れるという事態に、普通なら県民たちの一揆が起こってもおかしくない。
だが僕らは学生時代からの友情で固く結ばれていた。親友と言って差し支えないであろう。
県民はTを赦し、ゆっくりとその足を大勝軒に向けた。店に入ってまもなく、Tが到着した旨の連絡が入ったが、つけ麺を前にした僕らに何ができただろうか。まだ手つかずの中盛り一つと大盛り二つを前にして、僕は「もうすぐ食べ終わる」という優しい嘘をついた。Tが希望を持って僕らを待てるように。
麺を咀嚼しながら、今ごろ腹を減らして僕らを待つTのことを思うと、今日のつけ麺はいつもよりおいしく感じられた。
店を出て、車で待つTと合流する。Tは昼を食べていないので空腹だと言っている。でも僕らにはわかっていた。Tは遅刻した罪悪感で、とても食事が喉を通る状態ではないと。昔からそういう奴なのだ。
それを僕らに悟られまいと、Tはコンビニでおにぎりを買いたいなんて言っていた。気に病んでいる自分を見せまいと、どこまでも強がるTの姿に僕らは涙を禁じえない。Tの言葉を振り切るようにして車は発進した。
沼津インターを降りたとき、時刻は16時近くになっていた。
12時に高田馬場に集合したはずなのに、なぜ4時間もの時が過ぎてしまったのだろうか。
出発の遅れを取り戻そうと、車内では安室奈美恵の『Chase the Chance』をかけたにもかかわらず、時は足早に僕らを追い越していた。
時間は『ザ・シェフ』の放送が終了したあのときから変わらずその歩みを止めなかった。時の永遠の歩みに比しては、僕らの人生など路傍の石ころに過ぎないとはわかっているけれど、それでもやはり君の慈悲にすがりたい気持ちはなくならない。
沼津インターを降りてすぐのセブンイレブンで、休憩を兼ねて見切り販売品を探していると、Iの電話が鳴った。
実はこの旅行にはもう一人Mという参加者がいる。
Mもやはり大学の友人であるが、伊豆を愛するあまりに一泊二日では物足りないと、事前に現地入りし、僕らと行動をした後、更に一人で伊豆を旅するという、休みの全てを伊豆に捧げた殉教者である。
Mは既に伊豆での集合場所についているらしい。これ以上Mを待たせるわけにもいかず、僕らは急いで車に戻り、買ったばかりのアイスを袋から取り出した。
クーリッシュとの二択で散々悩んだ挙げ句に購入したアイスボックス温州みかんは、決断の苦味を補って余りある甘味と酸味。まるで冷凍みかんを食べているかのように、体の芯から冷たくなっていくのがわかる。
各々アイスを食べ終えると、Mの待つ恋人岬へと向かった。
恋人岬で一人待つ。なぜMがそんな自殺行為をしたのかは僕にはわからない。変人岬ならともかく、恋人岬に一人待つなんて、その孤独感は病床の正岡子規といい勝負であろう。
とにかく僕らは恋人岬へ向けて急いでいた。それなのに、なんということであろうか。恋人岬を目指す僕らの前に立ちはだかる観光名所よ。「煌きの丘」の広々とした駐車場に僕らは吸い込まれるようにして車を止めた。そして曇天の下で煌いていない退屈な写真を何枚か撮った。時間は17時少し前。これがこの旅行最初の写真であった。集合から5時間が経過していた。
これまで走ってきた何一つ想い出のない道のりに思いを馳せていると、そういえばMが待っていることを思い出し、僕らは再び恋人岬に向けて走り出した。途中、Mから再度連絡があり、僕らは道路が渋滞していると告げた。
あとはMのいる恋人岬に向けて一直線のはずだった。だが途中の看板で見かけた「旅人岬」の文字。なんと旅情を誘う名前であろうか。ここに寄らずにいれる旅人が果たしているだろうか。
僕らは旅人岬で再び車を止めた。Mよ、すまない。そこに岬がある以上、僕らは止まらざるを得ない。そして僕らに翼がない以上、到着は遅れざるを得ないのだ。翼と岬のゴールデンコンビはそうそう存在するものではないのだから。
結局Mと合流したのは18時前になってからだった。流石にMは恋人岬から退却し、近くのセブンイレブンで合流すると、そのまま宿へと向かったのであった。
朝の4時。宿のオヤジ兼船長の大きな声により、僕らは眠りの深海から引き上げられ、本物の海へと引きずり出された。
僕ら5人を乗せた小さな漁船は、エンジン音とガソリン臭をまとって海へと繰り出す。前日よりも雲は薄くなり、時折柔らかな光が雲間から差し込んだ。港を出てから20分ほど走ると、ついに雲はその姿を消し、太陽が顔を出して、夏の日差しがあたりに降り注いだ。絶好の釣り日和となったわけである。
だが、好事魔多し。青い空と青い海を眺めて船に眼を戻すと、つられてAの顔も青くなっていた。どちらかと言うと青白い。明らかに船酔いである。『はじめの一歩』が好きで、さっきまで船上でシャドーボクシングをしていたAが、真っ白な灰になっている。
そう、僕らは全員海釣りが初めてのため、船酔い耐性があるかどうか、今回船に乗ってみて初めてわかるのだった。Aはヨロヨロと立ち上がると、船の端へと消えて行った。Aは昨日美味しく頂いた刺身を母なる海へ奉還したのだろう。どこまでもエコな男であった。
Aが美しく海に散ったあと、残された4人はいよいよ初めての海釣りをスタートした。
釣りは以下の要領で行われた。オヤジがソナーを使って魚群の先頭に船を止めると、オヤジの指示した深さまで糸を垂らす。そこで何回か竿をしゃくり上げた後に、2~3メートルくらい巻き上げて、アタリを待つ。しばらくしてアタリがないようであれば、ポイントを変えて同じことを行う。これを繰り返す。
最初のうちは全く釣れなかった。なぜならば、誰も何がアタリなのかわからなかった。水面は揺れているし船も揺れている、当然竿も常に動いているため、魚がエサにちょっかいを出しても全くわからないのだ。よく見る松方弘樹の竿はものすごくしなっていたので、もっとわかるものだと思っていたが、あれはカジキマグロ限定らしい。
全く釣れないままに様々なポイントをウロウロしていると、今度はIとMの身に悲劇が起きた。隣で釣っていた二人の糸が絡まり、それをほどこうと下を向いているうちに、二人とも船酔いになり、またも刺身が母なる海へ戻っていったのであった。
これで残るは僕とTの二人のみとなり、これは釣果ゼロも覚悟しなければならないと考えたとき、あの男が現れた。
あのとき死んだはずのAがゆっくりと起き上がり、竿を手にしたのであった。顔面は相変わらず蒼白だったが、内に秘めた闘志は燃え上がり、青白い炎を見るようであった。
僕は思わずAに駆け寄って、「ナゼソコマデ?」と聞くと、Aは小さくも力強い声で答えた。
「俺、釣り人だから。」
船がポイントで停止すると、親父の声が響いた。「95メートルまで下げてください。」僕とT、そしてAは釣り竿を海へと振り出した。今なら釣れそうな気がした。
50、60、70……。僕の垂らした糸が90メートルに差し掛かったとき、僕はAが立ち上がるのを眼の端で捕らえた。まさか、アタリが。僕は思わず興奮してAに向かって叫んだ。
「来た?」
Aが答える。
「俺の糸、80メートルまでしかない。」
結局Aは、より浅いポイントに移動してからようやく参戦することができたが、結局一匹も釣ることができず、僕とTが何匹かを釣り上げて、初めての海釣りは終わった。
5人中3人が船酔い体質ということで、例え僕らの友情が不滅であったとしても、5人で海釣りをする機会はもう二度と訪れることはない。僕らは海釣りの経験を得たかわりに、海釣りの機会を永遠に失ってしまった。
僕らはこれからも、何かをするたびに何かを失うのであろうか。それとも何かを得るのであろうか。今はわからないけれど、最後にオヤジの言葉を残してこの物語を締めくくりたい。船を下りた後、オヤジは言った。
「また9月になったら電話すっから。」